発端は痛恨のミスオペだった
GOアプリのボタンを押し間違えた。それだけで、1週間の配車停止ペナルティを食らった。
何を間違えたかはここでは書かない。ただ、誰でもやりかねない操作ミスで1週間止められる——そういうシステムだということだけ伝えておく。
理不尽だとは思ったが、どうにもならない。結果として1週間、アプリなしの営業を強制されることになった。

「なんで今さら流し?」と思っていた
アプリを使わないベテランドライバーが一定数いることは知っていた。でも正直、「なんで?」と思っていた。GOがあれば効率よく配車が入るのに、あえて使わないのはただの時代遅れじゃないかと。
使えなくなって初めて、その感覚が変わった。
GOに振り回されていたと気づいた
2キロ走ってワンメーターの非効率
アプリなしで走り始めてまず感じたのは、「自分で決められる」という当たり前の感覚だった。
最近のGO配車で特に多かったのが、2キロ以上離れた迎車地へ向かって、降車地がそれより短い配車だ。ガソリンと時間を使って迎えに行き、近場を走って終わる。数字で見れば非効率だし、体感的にもしんどい。
方向の問題もある。右折した直後に左方向への配車が入る——これが本当によくある。慌てて方向転換しようとしてもたついていると、キャンセルされる。理不尽だが、これが日常だ。

「待たせる客ほど急かしてくる」問題
最近特に増えていると感じるのが、迎車地に到着しても約束の時間に出てこない乗客だ。
付け待ちで列に並んで待つのとは違う。あれは自分で選んだ待ちだ。でもGO配車の待ちは、自分ではどうしようもない。乗客のタイミングに完全に依存しているのに、こちらにできることは何もない。
そしてなぜか、待たせる客に限って「急いでください」と言ってくる。どの口が言っているんだ、とは思っても言えない。ストレスだけが積み上がる。
拭いきれない優先配車への疑念
SNSでまことしやかに語られていることがある——GOの配車には優先順位があり、特定の会社や車両にロング案件が優先的に回っているのではないか、という話だ。
証明する方法は自分にはない。でも走っていると、「これは偶然か?」と思う瞬間が積み重なる。論理ではなく感覚の話だが、その感覚は消えない。
このモヤモヤを抱えながら使い続けるのは、精神的にタダではない。
アプリなしの「流し」で走ってわかったこと
1週間、流しと付け待ちをメインに走った。
最初は不安だったが、意外と稼げた。それ以上に、ストレスが減った。向かう方向は自分で決める。乗客に振り回されない。迎車キャンセルもない。乗り場で待てば必ず乗客が来る。
ベテランドライバーたちがアプリを使わない理由が、ようやく腑に落ちた。効率の問題じゃなく、「振り回されたくない」という話だったんだと思う。

その後——アプリは使える。でも半分以下にした。
1週間が終わり、GOは使えるようになった。
でも今は、配車を受ける数を意識的に減らしている。以前は1出番で20件以上受けていたのが、今は8〜9件だ。ゼロにしないのは、連続配車モードのコアタイムがあるためで、そこは割り切って使っている。
それ以外の時間は、流しと付け待ちをメインにしている。
理由はシンプルで、その方が稼げるからだ。2年間の営業経験は、気づかないうちに「流しの勘」として蓄積されていた。どのエリアに行くか、何時にどこへ向かうか——その判断が、アプリ任せの頃より確実に精度が上がっている実感がある。
売上は、下がっていない。むしろ上がっている。
まとめ:GOがないと稼げない、は本当か?
ボタンの押し間違えというしょうもないきっかけだったが、結果的には良い強制リセットになった。
アプリ全盛の時代に流しや付け待ちをするドライバーを、少し前の自分は時代遅れだと思っていた。今は逆の見方をしている——あの人たちは振り回されることに価値を見出さなかっただけで、むしろ正しかったのかもしれない。

GOを使うな、とは言わない。ただ、「GOがないと稼げない」状態は一度疑ってみる価値がある。